著:剣世 炸
第6章 美琴−3
新緑眩しい5月中旬。私たち「けやき商パソコン部」は、宇都宮にある宇都宮光陵女子高等学校に、遠征試合のため訪れていた。
顧問の若林先生の伝手で実現した今回の遠征試合は、日文パソコン入力スピード大会の全国大会レベルの問題を繰り返し練習・採点し、その得点で個人と団体での入賞者を決めるというものだった。
今回の遠征は、先方の都合もありけやき商からは15名の部員限定での参加だった。 仮入部期間の終わった5月のゴールデンウィーク明けの部活動で、新入部員も含めた校内選考が行われ、私・煉先輩・お姉を含む15名を選出、ゴールデンウィークの遠征試合が企画された。
ところが…
「あれっ?」
校内選考の結果を見て、私は思わず呟いてしまった。
「煉先輩?どうしちゃったんです?」
「…」
先輩は、言葉を返して来なかった。
「…先輩?」
「…えっ?ああ。校内選考の結果のことか?」
「はい…。煉先輩、何かあったんですか…?」
私の横には、紗代の姿もある。紗代は、口数は少ないものの、周囲の状況を的確に判断し、口を開けば鋭い回答をしてくる。
「…最近、体の調子が悪くてな…。校内選考の時も、本調子じゃなかったから…」
「何か病気でもしてるんですか?」
「いいや、そう言う訳じゃないんだが…」
「…心の病…とか?」
「!!」
「先輩!そうなんですか!?」
「…美琴達には、何も隠し事ができないみたいだな…」
私たちが入学してからまだ1か月程度しか経過していない中、私たちはお姉、そして先輩と一緒に放課後にカラオケに行ったり、ファミレスに立ち寄ったりして親交を深めてきた。そんな中、特に先輩とは一緒にいる時間が多くなり、先輩のちょっとした変化にも気づくようになっていた。
「今度の遠征、美琴と紗代も選手に選ばれただろう?その試合の時に話すよ…」
先輩は問題を先送りするかのように告げた。話題を他に持って行きたかったという感情が、痛いほど伝わってくる。きっと先輩の中では、不調の原因が明確になっているのだろう。
「…部長さん、練習始めてもよろしいかしら?」
「…ああ、亜美、じゃなかった…鳳城、頼むよ…」
「しっかりして下さいよ!じゃあ皆さん、練習問題125−38を出して下さい!」
「(…もしかして、原因は鳳城先輩?…)」
鳳城先輩の「しっかりして下さいよ」の言葉に、苦い横顔を見せる煉先輩。
私は、煉先輩の「試合の時に話すよ…」という言葉を信じて待つしかなった。
* * *
「煉せんぱ〜い!」
新幹線の発車を知らせる音楽に負けないよう、ありったけの声で叫ぶ。
私とお姉、そして紗代は宇都宮光陵女子高等学校への遠征試合に参加するため、東京駅から新幹線で約1時間、宇都宮駅の新幹線ホームに立っていた。
他の自由席車両に乗っていた煉先輩の後ろ姿を見つけた私たちは、先輩の元へと揃って走っていった。
「同じ電車だったんだな!」
「はい。そうみたいですね!」
「「そうみたいですね」じゃないでしょ…。美琴の準備が遅かったせいで、あと少しでこの新幹線にも乗れないところだったんだから」
「間に合ったから、良いでしょ♪」
「…本当にぎりぎりだったけどね…」
「それにしても、美琴の彼氏はいつも時間に相当気を遣っているんだろうな。下手にどこかの店を予約なんてしたら、大変なことになりそうだしな…」
「!!…」
先輩の言葉に、私は少し悲しくなった。
「煉先輩!私に彼氏なんていませんよ!!だからご安心を!」
「…そうだったのか。俺はてっきり…」
「はいはい。無駄話はこの位にして、光陵女子に向いましょ」
「…そうだな。俺たち以外にけやき商の生徒は乗ってなかったみたいだし、現地に向かうとするか」
「はいっ。そうしましょう!」
* * *
光陵高校に無事に到着した私たちは、その後職員室、パソコン室の順に通され、約半日の練習試合をこなした。全国で準優勝している高校ということもあり、結果はわずか10点差での勝利だった。
1日目の練習試合を終え、光陵高校を後にした私たちけやき商パソコン部は、宿舎となるホテルのロビーに居た。
「よし、それじゃあ班毎に受付で鍵を貰って、荷物を部屋に置いてきたら、食堂で夕食だ。その後は自由時間とする」
「「「わかりました!」」」
若林先生の指示で解散した私たちは、事前に決めていた室長が受付で鍵を受け取り、各々の部屋へ向った。
「それにしても、光陵高校は強いわね」
「お姉がもっと頑張れば、余裕で勝てたんじゃないの!?」
「そんなこと言って!あなたも頑張らなきゃなのよ!」
「まぁ、それはそうなんだけどさ…。煉先輩、調子は戻ってきているみたいだけど、なかなか苦しんでいるみたい…」
「副部長とも点差はわずかでしたし…」
「煉先輩、今日不調の原因を話してくれるって、前言っていたけど…」
「…そうなの。それじゃ、食事が終わって自由時間になったら、それとなくあなたから聞いてみて」
「お姉、分かった」
私たちは部屋に荷物を置いて私服に着替えると、食堂へと向かった。
食堂にはまだ誰も到着しておらず、私たちがトップバッターだった。
「…ここなら出入口も近いし、先輩方や先生に失礼にならないわね。ここにしましょう」
お姉が出入口付近にあった島を選び出し、私たち3人が着席する。
「お姉、ところでなんでここだと先輩方や先生に失礼にならないの?」
「こういう席がたくさんある場所には「席次」っていうのがあるのよ。一般的に、出入口から遠い場所が「上座」、出入口に近い場所が「下座」って呼ばれていて、上座から順番に偉い人が座ることになっているのよ」
「先輩、さすがです」
「お姉、それって何で勉強したの?」
「2年生になると、「秘書・接遇」って選択授業があるの。その授業で勉強する「秘書検定」の中に、席次の基本っていうのが出てくるのよ。って言っても、ついこの間授業受けたから、覚えていただけなんだけどね…」
「へぇ〜。その席次って、社会に出てから絶対に必要になる知識だよね」
「そうね。だから、私たち商業高校の生徒は、他の高校に比べて就職できる確率が高いのかもね」
そんな話をしていると、私の目線の先に、煉先輩の姿が入ってきた。
私は先輩に手を振ると、隣に座るよう指を指す。
その動作を見た先輩は、同じ部屋の部員と別れ、私たちの席まで来てくれた。
「…真琴達はずいぶん早いんだな」
「はい、鍵を一番早くもらえたので、部屋にも早く行けましたから…」
「それに、お腹ペコペコだしね」
「それにしても、光陵高校はなかなか強敵ですね」
「ああ。今日の練習試合も、ある意味負けなかったのがおかしい位だろう」
「でも、アウェーである私たちが勝てたのですから、私たちの実力の方が上、ということでしょう」
「…確かにそうかも知れない。でも、油断は禁物だぞ。自分の実力に胡坐をかいた瞬間に、大会での入賞は難しくなるだろう」
「若林先生!いつの間に…」
いつの間にかお姉の隣に座っていた若林先生が話に入ってきて、一同を驚かせる。
「ああ、ほんの少し前に、な。それよりも、沢継、ちょっといいか?」
立ち上がった若林先生が、廊下を指差し先輩を手招きしている。
「…はい、分かりました。真琴に美琴、それに紗代、また後でな」
「はい!席を空けて、お待ちしております♪」
私の言葉に見送られ、先輩は食堂を後にした。
「…若林先生、先輩とどんな話をしてるんだろう?」
「きっと、今日の試合のことね。勝てはしたけど、先生としては「圧勝」くらいして欲しかったんじゃないかな?」
「今の状況だと、今年の全国大会優勝は、なかなか難しいのでは?って考えるはずです」
「先輩が不調なら、私たちが頑張らなきゃね!」
そんな話をしながら先輩を待っていると、5分もしないうちに先輩は食堂に戻ってきた。
私はその姿を瞬時に発見し、さっきと同じように手を振り隣に座るよう指を指した。
私の姿を確認した先輩は、一言二言先生と話をし、私たちの席へ戻ってきた。
「煉先輩、若林先生の話って、何だったんです?」
「…いや、ちょっとな…。食事の後の自由時間の時にでも話すよ」
「…ここじゃ話しにくい話なんですね…」
「…まあ、な」
「はいはい、話はそこまで。ほら、食事が運ばれてきたわよ」
お姉の言葉に他の3人が厨房への出入口に視線を向けると、ホテルの仲居さんが次々と豪勢な夕食を運んできた。
そして、けやき商パソコン部のメンバー全員に食事が運ばれると、若林先生の号令で食事が始まった。
* * *
「(…先輩、どこに行ったんだろう…)」
食事を終え、消灯まで自由時間となったけやき商の生徒は、それぞれ思い思いの場所に散っていた。
私はというと、いつの間にか食堂から姿を消していた煉先輩を探して、館内をウロウロとしていた。
「それにしても、すごい綺麗な夜景だったわね」
「孫にも見せたかったわい」
「(展望フロア!!)」
親孝行のためにこのホテルを訪れているのか、年老いた母と20代後半の女性の会話を聞いた私は、このホテルの展望フロアから見える夜景が綺麗だということを咄嗟に思い出した。
「(煉先輩は、きっとそこに…)」
私はエレベーターホールへと急いだ。
26階の展望フロアに到着すると、私は周囲を見渡し、先輩を探した。
すると、目を細め遠くをぼーっと眺めている先輩を発見した。
「先輩?先輩?煉先輩?」
「…美琴?どうしてここへ?」
私の言葉に、まるで夢から覚めた直後のような声で先輩が問いかける。
「ここのホテルの夜景がとっても綺麗だと聞いて、来てみたんです。先輩は?」
「俺か?俺は…ちょっと考え事をしててな…」
私の脳裏に、鳳城先輩の顔が過ぎる。
「鳳城先輩のことですか?」
「…まあな」
「部員のみんなが噂してますよ。部長とマネージャーリーダーがうまくいっていないって…」
「…そもそも、『うまくいく』とか『いかない』とかのレベルの話じゃないんだけどな…」
「えっ?」
「事情を詳しく知っている真琴や美琴以外の部員は、きっと俺と鳳城が付き合っていると思っているよな」
「はい。きっとそう思っていると思います。お姉から「誰にも言うな」って言われてるから、私も紗代以外には誰にも話していませんし…。あっ、でも私も詳しい話までは知りませんけど…」
「…そうだよな。鳳城に告白して、もう1年位になる。鳳城は、俺の告白にYESともNOとも答えなかった。何回か答えの催促も試みているけど、未だに答えを俺は聞いていない」
「先輩、それって…」
「こんな話を聞けば、誰でも「それはもう脈なし」って言うよな。俺だって、友達からこんな相談されたら、それはもう脈はないだろうって助言するさ。でも、俺は亜美からはっきりと断られるか、俺の想い自体を断ち切ることのができないと、どうやら先へは進めないみたいだ」
先輩の言葉に、一瞬だけ気持ちが落ち込む私。
「…先輩!私は先輩と鳳城先輩のことを応援してますよ!だから、諦めないで下さい!1年も片思いのまま、相手のことを想い続けていられるなんて、私はとっても素敵なことだと思います。鳳城先輩も、煉先輩からこんなに想われているのに、どうして…」
「(あれっ。何でだろう?涙が勝手に…)」
瞳に浮かんできた涙をこぼすまいと、私は必死で目に力を入れる。
刹那、私の煉先輩に対する「好き」という気持ちが間違いでないことを確信した。
「…美琴?どうしたんだ?」
「…何でもありません。私も、煉先輩と同じような経験をしたことがあるんで、それで…」
「そうか…」
「煉先輩。私で良ければ、これからもこんな時間を作って下さい。先輩より人生経験は短いけど、女の子の気持ち位は、先輩にお伝えできると思うんです!」
「美琴。ありがとう。美琴に話したお陰で、少し気持ちが楽になったよ」
「お力になれたようで良かったです!」
私は、泣きたい気持ちを必死で抑え、満面の笑みを浮かべて見せた。
「(先輩、私は先輩のことが好きなんです!でも、今の状況じゃ、そんなこと言えない…私はどうすればいいの…)」
「美琴、この後、少し付き合ってくれるか?」
「はいっ!喜んで!!」
「(ここで私が告白なんてしたら、きっと余計に煉先輩を悩ませてしまう…もし即断されたら、私は煉先輩とお話すらできなくなってしまう…それは絶対にイヤだ)」
それからしばらく、展望フロアで他愛もない世間話をした私と先輩は、消灯時間ギリギリでそれぞれの部屋に戻った。
私が部屋に戻ると、お姉と紗代はまだ起きていた。
「美琴!遅いじゃない!!どこに行っていたの?ていうか、その顔どうしたの?泣いていたの?」
先輩と別れてから部屋に戻るまでの間、私の瞳からは涙が滝のように溢れ出た。お姉は、涙が流れ落ちた跡を、私の顔から見て取ったのだろう。
「美琴ちゃん。大丈夫?」
「お姉、それに紗代。心配してくれてありがとう。私は大丈夫よ。ちょっと、悲しいことがあっただけ…」
「そう…兎に角、今日はもう休みましょう。明日も試合があるわけだし、今日みたいな無様な結果、若林先生には見せられないわよ」
「…そうだね。お姉」
「美琴ちゃん、頑張ろう!」
「…うん」
遠征2日目。今日は私たちが東京へ帰るということもあり、午前中のみの練習となった。私と話をして、雀の涙程でも効果があったのだろうか?先輩は調子を取り戻し、光陵高校に約100点差をつけ勝利したのだった。