著:剣世 炸
第6章 美琴−4
「煉先輩、どうしたんだろう?もうとっくに部室に来ていると思ったのに…」
「確かに珍しいわね。誰よりも先に部室に来る部長さんが、今日は居ないなんて…」
「今日は委員会とかもないはずですし、明らかに変ですね…」
SHRが終わり、OA教室に訪れたお姉・私・紗代が首を傾げる。
「しかも、明日は地区予選の校内予選だったわよね」
「そもそも、学校には来ていたのかしら?」
「朝、昇降口で部長さんを見ました。横顔をちらっとしか見ませんでしたけど、何だか冴えない様子でしたよ…」
「紗代、そうだったの?」
「うん、表情に出さないよう努力してるみたいだったけど…」
「そうなんだ…」
光陵高校での試合以来、先輩の記録は伸び悩んでいた。酷く調子が悪い時など、お姉に最終的な点数で抜かれることもあるほどだ。
「ねぇ美琴。あなた、遠征の時に部長さんと話をしていたみたいだけど、特に最近変わったこととか、なかった訳?」
「えっ、お姉。なんでそれを…」
「そんなことはどうでもいいの。で、何もなかったの?」
「うーん、先輩が鳳城先輩とのことで悩んでるって話を聞いて、私が力になりますって言ったこと位で、特に変わったことはなかったと思うけど…」
「そう。部長さん、美琴に直接話をしてくれた訳か…でも、そのことと今部長さんが部室にいないことは、あまり関係はなさそうね」
「部活が始まるまで、少し時間があります。私たちで、周辺を捜してみませんか?部長さんが、先生や私たちに無断で部活を休むとは、とても考えられません」
「確かにそうね。それじゃ、部活動開始ギリギリまで、部長さんを探してみましょう。三枝さんは、部長さんのクラスや所属している委員会の部屋を探してみて。美琴は、外に出て学校の周囲を探してみて」
「お姉はどうするの?」
「私は、若林先生に確認して、三枝さんにお願いしたところ以外の校内を探してみるわ」
「わかった」
「わかりました」
「それじゃ、何かあったら連絡してね」
私は急いで昇降口へ向かうと、靴箱から靴を取りだし、校門へ向って走り出した。
けやき商のすぐ裏を流れる浅見川は、昨日の大雨の影響で濁流と化していた。
普段の浅見川は、都内でも珍しくニジマスが釣れる程の清流で、高須山の源泉付近では、現地の人たちが飲み水としてそのまま利用していると聞いたことがある。
今日はそんな清流の片鱗すら見ることのできない浅見川の濁流を横目に、私は歩行者用に整備された土手を全力疾走で走っていた。
明日のパソコン部の活動で、地区予選の選手を決める重要な校内選考を行う予定になっている。
部長が…いや、煉先輩が選手でないパソコン部なんてあり得ない。もし、先輩が悩んでいるのなら、ほんの少しでいい、私が力になってあげたい…そんな想いで、私は浅見川の土手を走っていた。
「…ぱい、…先輩、…ん先輩、…煉先輩!!どこですかー!居たら返事して下さい!!」
自分では声になっているかも判断できない程の息遣いをしながら、先輩の名を叫ぶ。
しばらくして、土手の下の方から、私を呼ぶ声が聞こえた。
「美琴!美琴!!」
土手に座り込んでいた先輩は、私の姿を確認すると、私の名を叫んだ。
先輩の顔を見た私の顔からは、先輩を見つけることができたという安堵から、自然と笑みが零れた。そして、先輩のいる土手の下へと向かった。
「!!先輩!良かった…はあ、はあ…」
「美琴!どうしてここが…」
「誰よりも早く部室に来る煉先輩が今日は居なかったんで、心配して探しに来たんです…はあ、はあ…」
「そうか…それで、俺を探しているのは…」
「私以外には、お姉と紗代が校内を探しています。お姉が先生にも相談してみるって、言ってました…」
「それにしても、先輩、どうしてここに居るんです?今日は正真正銘、部活動の日ですよ!?忘れちゃったんですか?」
「いや、そういう訳じゃなくて…今日は部活に行く気分になれない、というか…」
「…先輩、何かあったんですか?また、亜美先輩とのことですか?」
「…実は、昨日の放課後、答えをはっきり出されたんだよ…」
先輩の顔が、少し暗く沈む。
「えっ、じゃあ、その…」
「美琴が想像している通りだよ。第一、もしOKの答えだったら、俺がこんなに凹んで部活に行く気分になれない、なんて言う訳ないしな…」
「…先輩、学校に戻りながらお話しませんか?お姉達も心配していますし…」
「…そうだな…そうしようか」
先輩の座っていた土手の下で話をしていた私たちは、けやき商に戻るため、土手へと上がった。
「それにしても、どうして俺が土手に居るって思ったんだ?」
「以前、先輩と話していて聞いたことを思い出したんです。「何か困ったことや悩みごとがあるときは、浅見川の流れを見に行く」って先輩が言っていたことを」
「それって、遠征前に100円ラーメンに行った時に話したことだったよな…食べながら話していたことを、よく覚えていたな…」
「えっ、いや、たまたまですよ。たまたま…」
「(とてもじゃないけど、先輩と話したことは全部覚えてます!なんて言えない…)」
「でも、美琴とこうやって話していると、何だかとっても楽な気分になっていくよ。それに、元気も分けてもらっているみたいな気分になるし」
「ほんとですか!私みたいなのでお役に立ててるなら、とっても嬉しいです!」
「正直、失恋したことを誰にも話せなくて、すごくもやもやしていたんだ。迎えに来てくれたこともそうだけど、話も聞いてくれて、ありがとな」
「…いえ。私で良ければいくらでも力になりますよ!それに、失恋くらいで、先輩の力を世に示せなくなるのは、先輩も不本意じゃないんですか?」
「失恋くらいって…まあ、美琴にはそう映るのかも知れないけど、俺にとってはとても重要なことだったんだよ。気持ちの整理がつかないまま、部室には入れない、とも思った訳で…」
「…そうですよね。失恋した相手と部活では顔を合わさなけりゃですし、ね…」
「そうなんだ。でも、美琴に全部話してスッキリしたよ。もう大丈夫だ」
「はい!お姉も、先輩に実力で勝ちたいって、常に言ってますしね」
「よし、部活開始まであと少しだな…。部室まで急ごう!」
「はい!」
先輩の右手が、私の左手に伸びてくる。
「(えっ!!)」
刹那、先輩は私の手を軽く握ると、学校めがけて走りだした。
「(…先輩、暖かくて大きな手…私、私…)」
火が吹き出そうなほど赤くなった顔を見られないよう、少し俯き加減になりながら、私は先輩との幸せな時間を、けやき商までの道のりで過ごしたのだった。
* * *
「…あと10点かぁ、惜しかったなぁ…」
翌日の部活終了後すぐに貼り出された校内選考の結果を見て、お姉が悔しそうに呟いた。
校内選考の結果、1位は煉先輩で、2位は10点差でお姉だった。
「部長さん。事情は美琴から聞いてますけど、これは部長さんの本気じゃないですよね」
「…まあ、そういうことになるかな…」
「…だったら、いいんです。部長。本気の結果が出せるようになったとき、絶対に私が部長さんを超えて見せますから!」
「真琴の期待に応えられるよう、早く本調子になれるよう頑張るよ」
そして…
「…あと30点かぁ。あと1行入力できていたらお姉に勝てたのに…。惜しかったなぁ…」
「ちょっと美琴!「あと30点」はないでしょ!1行の差は「惜しい」とは言えないわよ!」
「そんなことないもん!ちょっと調子が悪かっただけで、あの問題ならあと1行位行けたはずなんだから!」
「…行けたはず、は「行けた」にはならないわよ!」
「確かに、お姉の言う通りだけどさぁ…」
3位になったのは私だった。
お姉には強がりで「惜しかった」なんて言ったものの、やっぱりお姉の実力は本物だと、改めて実感した。
そして、亜美先輩との答えがはっきりと出て、とてもパソコンの入力どころの騒ぎではないはずの煉先輩が、例え10点差であったとしても、本気で挑んだお姉に勝っていることが、私には凄いことだと感じられた。
「美琴、若林先生もよく言っているだろ?「苦しい時の結果が、自分自身の実力なんだ」って」
「…はい。そうですね。部長!お姉だけでなく、私が追撃していることもお忘れなく!」
「そうだな…俺も塞ぎ込んでばかりは居られないな…」
先輩が、ふと亜美先輩の方を見る。私もあからさまにならないよう、目線だけで追ってみると、亜美先輩は煉先輩の視線に気づいて慌てたようすで、部活の仕事に戻っていった。
「(…煉先輩に長い間答えを出さなかったこと、後悔しているのかな…)」
この後、地区予選の選手と補欠が若林先生から発表され、今日の部活は終了した。
「煉先輩!」
荷物をまとめ帰ろうとしていた煉先輩に、私はいつもの調子で呼び掛けた。
「…美琴!それに真琴と三枝も…」
「先輩。先輩も入れてここにいる3人が予選会の選手に選ばれたということで、帰りにあそこに寄りませんか?」
「あそこっていうと、学校のすぐ近くにあるクレープ屋のことか?」
「…先輩!だんだん私たちの行動パターンが読めてくるようになってきましたね…」
「だって、この前は駅前の100円ラーメン屋に行ったし、その前はいちょう通りのたこ焼き屋に行っただろ?さらにその前は駅前にできた安いカラオケボックスに行ったばかりだから、そろそろクレープ屋かと思ってな…」
「先輩!彼女ができたら、きっといい彼氏さんになれますよ!ねぇ、お姉!紗代! 」
「はい。デート先のレパートリーをいくつも知っている男性はモテますからねぇ」
「美琴の言う通り。部長さんは、きっといい彼氏さんになれます!」
「…そうかな?俺は自分自身のことは、よく分からないから、そう言われてもいまいちピンと来ないけどな…ていうか、今日は煽てても何も出ないぞ!」
「分かっていますよ!でも、今日はクレープ屋に寄ってきましょうよ!」
「…美琴達がそこまで言うなら、クレープ屋に寄って行こうか?」
私たちの熱意に押されたのか、先輩はクレープ屋に一緒に行くことを承諾してくれた。
亜美先輩に目線を向けると、亜美先輩もチラチラとこちらを見ているようで、煉先輩が亜美先輩のいる方へ顔を向けた途端、視線を逸らし後片付けに集中しているようだった。
「(亜美先輩、私、あなたのこと、少し許せません。どういうつもりで先輩に答えを出さなかったのかは知りませんけど、もう、先輩を苦しめないで下さい…)」
* * *
地区予選大会当日、私と煉先輩、そしてお姉は、整然と椅子や机が並べられた体育館の出入口前にいた。
「いつ見ても、この会場の迫力には圧倒されそうになります」
「ああ。俺はこれが3度目、真琴も2度目だったよな」
「はい。全国大会はもっとですけど、地区予選の空気には、去年正直圧倒されました」
「それでも、お姉達は去年の部長さんと一緒に、地区予選、全国大会と駒を進めたんでしょ?」
「まぁ、確かにその通りだけど…。美琴は、この会場を見て、何も思わないの?」
「「何も思わない」と言ったら嘘になるかなぁ…。まだ他校の選手が入っていないから、「大したことなさそう」って感じているだけかも」
「美琴も、地区大会の選手として今回は出場するんだ。他校の選手がここにそろい踏みして、普段の実力が出せない、なんてことにならないようにな」
「はいっ。煉先輩こそ、普段の実力が出せるよう祈ってますよ!」
「ありがとう、美琴」
「(先輩。頑張って下さい!!」
体育館の入口から中の様子を見終えた私たち3人は、大会前最後の練習をしに部室へと向かった。
「…よし、全員揃ったな。みんな!大会開始まであと3時間だ。それまで、気を抜くことなく練習に励もう!」
「「「「「はい、部長!!」」」」」
「鳳城!大会会場の準備は終わってるんだよな?」
「えっ?!ええ、終わっているわ」
「それじゃあ、鳳城の指示で、マネージャー陣は問題の計測を始めてくれ!」
「「「分かりました!」」」
「(…煉先輩、鳳城先輩と普通にしゃべれてる…。これなら大丈夫ね)」
「(私も全力で頑張ります。先輩も、頑張って下さい!)」
私は一瞬、煉先輩に笑顔を送ると、次の瞬間には目の前にあるパソコンの画面を見ていた。
* * *
地区予選は、1位が煉先輩も、2位がお姉、そして3位が私だった。
団体優勝となったけやき商は、全国大会連続出場記録を塗り替え、地元テレビの取材を受けた。
「…煉先輩、手汗、凄いことになってますね」
「ああ、試合する時より緊張したよ…」
「地方テレビとは言え、今回の取材結果は、全国ネットでも放映されるそうですし、ね」
「私、ちゃんと喋れてたかな…」
「…とりあえず、帰りましょうか?」
私たちは、取材の会場となった校長室を出ると、荷物を置いている部室に向かった。
「煉先輩、ちょっと私に付き合ってもらってもいいですか?」
「えっ、俺?」
部室まであと少しのところで、不意に私に呼ばれた先輩は、その場に立ち止まりピクリとも動かなくなった。
「じゃあ美琴、私は先に帰ってママと夕食の準備しておくから」
「お姉、よろしくぅ〜」
「ではそういうことで、部長さん、また明日です」
「お、おう。気をつけて帰れよ」
「はい!」
元気よく先輩に返事を返したお姉は、私と先輩を残し部室へと走っていった。
「…煉先輩、浅見川の土手へ行きませんか?ちょうど今、夕日が川の水面に反射して、きっと綺麗だと思うんです」
「…そうだな。そうしようか」
靴に履き替え、体育館前の桜並木を通り過ぎ、門を出るまで、私と先輩は何を話して良いか分からずただ土手へと歩いていた。
沈黙の時間は嫌いでない私だったが、気になっていることを思い切って聞いてみることにした。
「…煉先輩、その後、鳳城先輩とは…」
亜美先輩の名前を耳にし、一瞬だけ顔に影が落ちる先輩。
「亜美か?部活以外で会話らしい会話はしないし、あっちからも話しかけてくるようなことはないな…」
「そうなんですか…。先輩の気分的には、どうなんですか?まだ、鳳城先輩のことが…」
「『完全に忘れられた』と言えば嘘になるな。何せ、1年以上も片思いが俺の中で続いていたんだから。でも、自分でもびっくりする位、気持ちは晴れやかになりつつあるよ。それも、みんな美琴のお陰だと思う」
「えっ?私のお陰?」
思いがけないところで自分の名前が出てきて、びっくりする私。
「美琴が、この浅見川の土手で塞ぎ込んでいた俺を見つけて、励ましてくれただろう?誰にも相談できなかった鳳城とのことを、美琴が聞いてくれて、さ。どれだけ、俺がそれに助けられたことか…」
「そんな。私は、先輩の話を聞いただけですし…」
「いや、美琴がいなきゃ、今の俺は部長を真琴に譲って、家に引き籠っていたかも知れない。本当に感謝してるよ」
「先輩…(私が先輩の力に慣れているなら、私はそれだけで十分です!)」
「…わぁ、先輩。見て下さい。夕日が川の水面に映っていて、とってもきれい…」
「…本当だ。こんな浅見川は見たことない…」
私たちは浅見川のあまりの絶景に心を奪われ、その場に立ち尽くした。そして、どちらからともなく手を繋いでいた私と先輩は、その事自体を意識させない目の前の景色を互いの温かさを繋いだ手で感じながら、しばらくの間見つめていたのだった…