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剣世炸 novel site 〜秋風に誘われて〜

秋風に誘われて

著:剣世 炸

銀杏大学編

第4章 大学サークル

第1話 誘惑


「…以上から、現在の『相対的真実』の立場を取っている真実性の原則に則り、各種会計処理が行われることが妥当であると、私たちは考えます。Aグループ沢継班の発表は以上です」

「それでは、質疑応答に移りたいと思います。沢継班からの真実性の原則に関する発表でしたが、質問のあるグループはありますか?…」

 ここは銀杏大学柚木キャンパスにあるセミナーハウス。

 俺は今、夏休み中に行われるサークルの本合宿に向けた、1泊2日のプレ合宿に参加している。

「ちょっと、いいかしら?」

「はい、質問を認めます」

「真実性の原則が求めているのは真実な会計報告のはず。つまりは絶対的真実が求められているはずなのに、なぜ現代の会計処理では絶対的真実を追い求めず、さまざまな会計処理方法を認める相対的真実が認められているのかしら?」

 今発言をしたのは、俺と同じ経営学部の2年に在籍する今井凜歌先輩だ。

 けやき商とは別の都立商業高校を主席で卒業し、銀杏大学に入学。昨年11月の日商簿記検定で1級に合格し、現在は税理士試験合格を目指して勉強しているらしい。

 容姿端麗で優しく、俺と一緒に入ったサークル仲間の間ではマドンナ的な存在と言えるのだが、美琴という彼女のいる俺にとっては、全くもってどうでもいいことだった。

「(タイトルホルダー(日商1級合格者)なんだから、答えなんて分かっているだろうに…あぁ、そうか。俺の力を試そうと、わざと質問しているってことか…)」

 俺はその場で手をあげ、司会に回答する意思がある旨伝える。

「はい、沢継君」

「今の今井先輩の質問に対しお答え致します。確かに、本来は絶対的真実を求めるべき真実性の原則ですが………」

 俺の所属する『会計・簿記研究会』では、プレ合宿にて新入生のグループが、本合宿にて2年生以上のグループが、各自で設けたテーマに基づいた研究成果を発表することになっている。

 そして、俺のグループは、企業会計原則の中でも解釈が最も難しいとされる真実性の原則を選択し、さまざまな文献を読み漁り研究を重ね、今日という日を迎えた。

 俺のグループには、大学で初めて簿記を勉強するという学生も数名混じっていたが、お互いの得意分野を活かしながら、発表向けた資料準備を進め、何とか発表まで漕ぎ着けた。

「…以上から、真実性の原則は絶対的真実を追い求めるべきでなく、相対的真実によって現在の会計処理等の制度を裏付ける原則となっていると考えます」

「…沢継君の応答に対して、何かご意見はありませんか?」

「…」

「質問者の今井さんからは、何かありませんか?」

「…特にありません。素晴らしい応答だったかと思います」

「…それでは、これにて質疑応答の時間を終わりたいと思います。Aグループの皆さん、お疲れ様でした」

 プレ合宿1日目は順調に進み、1年生の予定されていたグループの発表が終わるころ、太陽は完全に西の空に沈んでいた。

 今回のプレ合宿で利用している大学のセミナーハウスには、食堂はあるものの食材の仕入れから調理、片付けまで食堂の利用は完全なセルフサービスになっていて、ルールが守れない団体は、2度とこのセミナーハウスを利用できないことになっている。

 銀杏大学の会計・簿記研究会は、合宿時は伝統的に3年生以上の先輩方が料理を振る舞うことになっていて、夕飯時となり4年生の先輩方は食材の買い出しに向かい、3年生の先輩方は調理の準備に入った。

 その間、残された1年生は今日発表した内容の整理をし、2年生は明日の発表の準備をすることになっていた。

 ところが、俺のグループは入念に準備をしていたお陰で、このタイミングで特に整理する内容もなく、俺とメンバーは思い思いの方法で暇を潰すことにしたのだが…

「ねぇ、沢継君。ちょっといいかしら?」

 俺は美琴に電話を掛けようとベランダに出ようとしたところを、聞き覚えのある声に呼び止められた。

「…先輩?」

 声の主は、発表の際に俺に質問を投げかけた、今井先輩だった。

「…凛歌でいいわ」

「はぁ…」

 ベランダへの扉を閉め、ハウス内に戻る。

「ちょっと話さない?」

 すぐ近くに置かれたテーブルとイスを指さす先輩。

「…先輩は…凛歌さんのグループは、明日の発表の準備は大丈夫なんですか?」

「もう終わっているわよ。あなたのグループが、ここに来る前に準備を終わらせていたように、ね」

「そうでしたか…って、何で俺たちのグループのことを知っているんです?」

「何でも知っているわ。あなたのことなら、ね」

 耳元で囁かれ、俺は身震いをする。

「沢継煉…あの名門都立、けやき商業のパソコン部で部長を務め、3年連続でけやき商パソコン部の優勝に関わったインプットの天才…そして、その能力はインプットを超え多方面に渡る、とか…」

「やめて下さい。俺はそんな御大層なものじゃないんです…」

「そうかしら?普通、1年生のグループが、企業会計原則でも最も解釈が難しいとされる真実性の原則をテーマになんて選ばないものだけど?」

「それは…」

「…まぁ、その辺りはいいとして、ここからが本題よ」

「本題、といいますと?」

「沢継君…私の彼にならない?」

「……………え゛え゛っ!?」


第2話 に続く